第二話 新たなる被害者

 時はやや遡り、夜。

 重光は最神(さがみ)()()と名乗った女を連れて、白烏街郊外にある一軒家に辿り着いた。

「……俺の実家だ。一先ずここに住め」

「あ、ありがとうございます。わざわざこんな私を……」

 消え入りそうな声で謝辞を述べながらペコペコと頭を下げる有希を尻目に、重光はまじまじとその家を見つめる。

 もうここに住むのは何年振りか。長らく手入れを忘れられた庭には雑草が生い茂っている。中も相当埃が積もっているはずだ。

 重光にはかつて、別の名前で呼ばれていた時期がある。

 高橋堅市。それが彼の本当の名だ。

 重光は幼い頃、交通事故で両親と弟を失っている。孤児となった彼を拾ったのが東条組だった。重光というのは、組長である東条重雄から与えられた渡世名だ。

 この家は、その両親が遺したものの一つだという。東条の家に住んでいた重光としては、趣味でかったあるものを収めておく倉庫ぐらいにしか使い道が無かったが。

 鍵を開けると、扉が重く開きギギ……と音を立てた。玄関で靴を脱ぎ、廊下に一歩踏み出せば床が軋んでいるのが分かる。

 重光は部屋のハンガーに着ていたジャンパーを掛け、有希を応接室に案内した。

「今日からここで生活しろ。金回りは何とかするから、心配するな」

「はい。よろしくお願いします……」有希は頭を下げた。

「まあ初めは慣れねぇかもしれねぇが、気軽にやってくれ」

 言いつつ、ソファーの埃を荒く払って手で座るよう合図する。

 おずおずと腰を下ろす有希に、重光は己を指しながら言う。

「まだ、名乗ってなかったな。俺は高橋重光。少し前までは、まあいわゆるヤクザをやっていた」

 やっと平静を取り戻した有希の顔が再び強張る。当然だろう。突然目の前の男が物騒な輩だと分かったのだから。

 だが、引っかかる点もあった。

「『この前までは』……?」

「ン……まあ、色々あってな。まあそこまで怖がってくれるな。取って食いやしねぇよ」

 重光はポケットに捻じ込んだ箱から煙草を一本取り出し、火を点ける。その時に気づいたが、残りが少ない。クソッタレ、と心で毒づきながら紫煙を燻らせる。

 肺腑に満たされた煙を吐き出し、言葉を続ける。

「……で? お前、なんであんなところに居たんだ?」

「……」

 返事は無い。有希はただ目を伏せ、沈黙するだけだった。

 話せない。あるいは話したくない、という事らしい。

「……まあ、いい。これからよろしくな」

「……はい、すみません」

 さて、と重光が立ち上がり、伸びをする。

「俺はもう寝るから。適当にシャワーでも浴びるなりしてお前も寝ろよ」

 有希の返事を待たずに、応接間から出て行く重光。

 暗い廊下を満たす冷気の中、重光は小さく一人ごちた。

「……明日からハロワ通いだな」

 

 

 一月一二日、昼過ぎ。

 厚い雲の隙間から微かな日差しが差し込むこの季節、春と呼ぶにはまだまだ早い。

 鈍色の空の下、寒風が吹きこむ街一人の男が歩いていた。宇津木である。

 彼は枯草色のコートに包んだ体を小さく振るわせながら、手にした携帯電話へと声を投げかける。

「ああチクショウ寒い……。なんだって日本の冬はこんなに寒いんだよ」

『次からはカイロを持ち歩くことをお奨めします』

 返ってきたのは若い女の声。監察医の仁科(にしな)縁里(ゆかり)だ。先の事件の司法解剖の執刀を担当している。

「お前は良いよな。今頃暖かい部屋の中でコーヒーでも嗜んでるんだろ?」

『被害者の遺体を解剖するという、精神的にも肉体的にも疲労の伴う業務をこなしていることをお忘れなきよう。それとも、今度お互いの業務を交換でもしてみますか?』

「いや、遠慮しておこう。俺は医師免許を持ってないんでね。自分で自分に手錠を掛けたくはない」

 ふふ、と小さい笑い声と共に電話が切れた。

 携帯をしまったその手で、ポケットから写真を取り出す。

 かといって、別に綺麗な女が映っているわけでもない。つまらん男の顔だ。

 高橋重光。目下捜索中の男である。

 宇津木は白い息を吐き、呟く。

「――さて、地道に聞き込みといきますかね」

 高橋重光について分かっていることは少なかった。東条組に彼のことを問い詰めても、組長をはじめとする他の構成員は「高橋重光などと言う男は知らない」の一点張りだった。相手が相手だけに、警察も深く追及できないのが現状だ。

 分かったことと言えば、警察のデータベースにあった人相と、幼くして両親を亡くしており、名前を変えているという事だけ。

(難航しそうだな)

 宇津木は、物憂げな溜息を吐いた。

 

 聞き込みを始めてから四時間。

 合間に休憩をはさみつつ、宇津木はひたすら道行く人に声をかけた。

老若男女を問わず、河岸を変えながらの聞き込みは、火灯し頃になってようやく実を結んだ。

「その男なら、昨晩に女と歩いているのを見た」と証言する中年女性と巡り会ったのだ。

「男はどこに行ったか、わかりますか?」

 宇津木の口調に自然と熱が入る。

 買い物のために郊外から街へやって来たという女性は、わずかにたじろぎながらある住所を告げた。

「その民家に入るのを目撃したんですね?」

「特徴的な二人組だったから、間違いありません」

 女性は頷いた。

「そうですか……どうも、ありがとうございます」

 女性に礼を言い、急いで捜査本部に連絡しようと携帯電話を取り出す。すると、折しも上司からの着信が入った。

「はい、宇津木です」

 この時既に、宇津木の胸には言い知れぬ不安が首をもたげ始めていた。

 本能的に耳を塞ぎたくなるような、忌々しい凶兆――それが、彼の脳裡で蠢きはじめる。

『ああ、宇津木。進展があった。例の東条組の件だが――』

 その先は聞きたくない。やめてくれ。

 そんな宇津木の心の叫びは、無情にも届かない。

『――新たな被害者が出た。しかも今度の遺体には首が無い。持ち去られたんだ』

 宇津木は絶句した。