Aesma Daeva

もしも神様なんてものが存在するなら、ソイツは余程悪趣味なのだろう。

この世界の原理は冷酷だ。

野兎はなすすべもなく狼に喰われ、臓腑を貪られる。そこに一切の恩情はなく、躊躇はない。弱肉強食などと言えば安いが、その根本は何処までも少数派を斬り捨てていくシステム。

それでなくたって、運が悪ければ、ささやかな幸せなんて簡単に踏み躙られる。

洪水が。

疫病が。

 天災が。

 大地を襲い、数多の命を奪った。

 運よく生き残った連中は尋ねる。

『神よ、何故このような不幸を我々に課すのですか』

 そうすると奴は雲の向こうから、上っ面だけの優しい笑顔を貼りつけて応えるのだ。

『これは試練である。これを乗り越えれば、いつかは報われる』

 馬鹿どもはそれで満足する。

 仕方のないことだったんだ、と。

 どうしようもない被害だったんだ、と。

 

 ――ふざけるな。

 

 その程度で諦めてたまるか。

 何が神か。何が創造主か。

 己の心と違う者の手で穢されようとしていた少女がいた。

 無理矢理人生を押さえつけられ、束縛される女たちがいた。

 この不幸を何とする。彼女らを救わずに、何が天使か。何が超常者か。いつか、ではない。彼女たちには、今、助けが必要だった。

 神の決定などクソ喰らえ。定められた運命なぞ知ったことか。

 そう唾を吐き、彼女らに手を差し伸べ続けたその果てに――俺は、天から堕ちたのだ。

 

 

夜の街はある種退廃的だ。

ネオンの毒々しい色は一層深い陰を刻み、大通りから岐れる路地は酒場の生ゴミの匂いが薄ら漂う。

その一角で、私は取り囲まれていた。

薄汚く黄ばんだタンクトップを纏った男どもが、三人。いかにもといった悪人面には、揃いも揃って下卑た笑みが浮かんでいる。

こういう時、私が少年ならカツアゲ程度で済んだかもしれない。だが生憎とそういう訳にもいかないのは、重々承知で、己の姿を見下ろせば、先ず目に飛び込んでくるのは大きく膨らんだ胸。その身を包むのは白のブラウスに緑のブレザー。下半身を飾るのはひらひらしたスカートと、あとはストッキング程度のものだ。

男の内の一人が、銀色に輝く刃物を取り出す。

「おい、早くしろよ!」

「わかってる。少しは待てって、我慢汁溢れて辛抱たまらねぇってか早漏。……よし嬢ちゃん、コイツが見えるなら暴れねぇ方がいいってのは分かるな?」

「もうどうでもいいよとっととぶち込ませろ」

 口々に言い合う連中の姿を眺めながら、私はこれから起こることを何となく想像してみた。

ここまでくるともうどうしようもなかった。足掻こうが結末は同じで、この路地裏に追い込まれた時点で私の詰みだ。後はもうどれだけ被害を減らすかを選択していく以外に、私がどうこうできる余地はない。

 男が持つナイフが、私の服を斬り裂いていくのが、感覚でわかった。雑な手つきで、うっかり刺されないかが心配になってくる。

なんとなく「痛いのは嫌だな」と思った。

その時だった。

 もぞりと。

 視界の端で動くモノ。

 それは影だ。表の道から差し込んでくる光が落とす、私の影。

 それが、明らかにおかしい動き方をしていた。

 私の動きに合っていないというレベルではない。関節の位置も何もかもが滅茶苦茶で、まるでそれ自体がなにか別の生き物であるかのような。

「あん? お前、何を見て――」

 私の視線が全く明後日の方向を向いていることにようやく気付いたのか、私の服を剥いでいた男が、威嚇するように低い声で唸る。

 それが引き金となったとでもいうのかように。

ズ……ォオオッ!! と。

影が膨張し、中からソレが現れる。

その姿は闇色の甲冑に身を包んだ、長身の騎士。兜の首からは生々しい赤が滴り落ち、背にはためくは黒の翼。鎧の胸当てには牛と羊、そして端正な男性の顔を象った彫刻が施されていた。

 ゲームに出て来るモンスターの様な容貌だった。

「……は?」

今さっき声をかけてきた男が、間抜けな声を上げる。

直後。

まるで柘榴の実が落ちたように。

男たちの頭が、次々と弾けていった。

悲鳴も、絶叫も、命乞いすら許さない、絶対的な虐殺。

それが、騎士が軽く手を振り上げただけで、無慈悲に執行されていく。

さっきまでの光景が夢のようだった。

気が付けば、私は生温かい血の海の真ん中にへたり込んでいた。

「な、に……?」

 見上げる先には、先程の黒騎士が佇んでいる。

 まず間違いなくこの惨劇を生み出した下手人は、しかし私に危害を加えるでもなく、それどころか恭しい手つきで手を差し伸べて来る。

「あ……」

 喉から、微かな声が漏れた。

 言わなくちゃ。そう思った。

 籠手越しの右手をそっと、握りしめて。

「ありが、とう」

「……――」

 応えるように、彼から囁き声の様な吐息が漏れる。

 立ち上がると、騎士の姿はふっと掻き消されるように消えてしまった。

「……?」

ふと、右の中指に慣れない感触。

目を向ければ、そこには全く覚えのない指環があった。センターストーンには紅縞瑪瑙(サードオニクス)だろうか、橙色の宝石がキラリと輝き、石座には小さな文字が彫られている。

「A……e……s……m……a……?」

 暗がりの中で、目を細めながら一文字ずつ読み上げていく。

 

 アエシュマ・デーヴァ。

 

 神様が助けてくれないこの世界で、私を助けてくれたヒトの置き土産には、そう記されていた。

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