第五話

遠山時雨三郎。一五〇歳。

おとめ座。血液型A型。好きな米の品種はササ○シキ。

幻のタワシ職人と称される彼は、遠い過去の思い出に耽っていた。

忘れもしない。時雨三郎が一〇歳になったとき、父親が初めて買ってくれた誕生日プレゼントがタワシだった。

以来、彼はタワシの製作に己の全てを捧げてきた。

失ったモノは数知れず。それでも時雨三郎は何かを得たかった。自らの手で、何かを――。

溜息交じりに横になろうとしたその時、不意に辺りに地鳴りのような低い音が聞こえた。

「なんじゃ、今のは?」

 窓の外を見ると、街の一角から黒い煙が上がっていた。

「あそこは……南斗学園?」

 何故だかわからないが、時雨三郎は自分の求めたものがそこに行けば得られる、そんな気がした。

 

 

 

「ムハハハハハハ……」

 爆風の中に響き渡る晴斗の哄笑。

「我は聖帝。めげぬ! しょげぬ! へこたれぬ!」

 晴斗の肉体から薄い光が放たれる。

 その光に怯えた李徴は、半ば反射的に晴斗に飛びかかる。

「待て、アンタの敵はワシだ」

 銀五郎が両手に二本の刀を構え直すのと同時に、半井姉妹も動く。この時点で、晴斗vs李徴vs銀五郎、満子vs笑子の構図が生まれる。

 が、それも一瞬のことだった。

「モニュ、モニュュュュュュ……ッ!」

「ひ、ひでぶっ!」

 校庭に李徴と銀五郎の断末魔が(こだま)した。

「ッ! 銀五郎さん!」「李徴?!」

 慌てて振り返る二人。

 晴斗は凄絶な笑みを浮かべながら、今し方葬った者達の血をこねくり回し、弄ぶ。

「……面白い。やってくれるじゃない」

 冷笑を浮かべた満子が、懐中時計の蓋を開け、空に放る。

 直後、周囲の時間が凍る。

 全てが静止した世界の中、満子が晴斗の背後に回る。

 満子は確実に油断していた。

 凍った時間の中を動ける者は自分しかいない。唯一対抗できるはずの笑子は、“凍時術”の素養に恵まなかったために、ただの木偶と化している。この世界で起こることを垣間見ることが精々だ。

 何の疑問も不安も無かった。

 満子がタワシを振りかぶる。

 いかに晴斗といえど、凍った世界では動けない。確信があった。

 だが。

 トンッ、と軽い音と共に一筋のレーザーが満子の胸を貫いた。

「………………あ?」

 鼓動の周期に合わせて、水鉄砲のように胸から血を吹き出しながらも、満子は数秒、なにが起きたのかを理解できていなかった。

 “凍時術”が解除され、時間の流れが元へ戻る。

 満子が、地に膝をつく。

「姉さん……?!」

 先程まで敵対していたはずの笑子が、倒れこむ満子の身体を抱きとめる。

「……」

 笑子の腕に抱かれ、息も絶え絶えになりながら、満子は自らを破った人物を視界に収める。

 そこにいたのは、着流しを纏った老人――時雨三郎。

 なるほど、と納得する満子。あの老人には、自分は勝てない。

「……まさ、か……あんな伏兵が、ね……」

 そう呟いた直後、満子の意識が遠のく。

 手にしていた懐中時計が、地に滑り落ちてカタ、と乾いた音を立てた。それが、満子の最期だった。

「爺、貴様ッ! 誰の許しを得てこの我の邪魔をするッ!」

 満子の息が絶えたのを認識し、晴斗が激昂しながら時雨三郎に南斗○凰拳を放つ。

 しかし。

ガシィッ! と、齢一五〇の老人はそれを片手で受け止める。

「な……ッ」

「……世の条理も解さぬ小童めが。一つ、教えてやろう」

 驚愕に目を見開く晴斗に、時雨三郎は言い放つ。

「――タワシは汚れを殺す武器! 人を殺す為にあるのではないわァァァァッ!」

 叫びと共に、時雨三郎の肉体から濃密なオーラが迸る。それは束の間、彼が老人であることを忘れさせる程の闘気――。

 対する晴斗は苛立ちに唇の端を噛む。

「……いいだろう」

 たった今。この瞬間。

 晴斗の中で、目の前の老人が等身大の『敵』と定義された。

「格の違いというものを見せつけてくれる、人間風情」

 傲岸に晴斗が宣言した直後だった。

 ズ、ドォォォオオオオオッッッ! と。

 轟音と共に、晴斗と時雨三郎の音速を超えた挙動から発生したソニックウェーブが、周囲の一切が吹き飛ばす。

 銀五郎や李徴、そして満子の屍が横を通り抜けていく中、笑子は地を踏んだ足に力を籠め、必死の思いで衝撃波に抗い続ける。

(もう、私の力じゃどうしようも無いのかも知れない)

 目の前で繰り広げられる超次元の戦闘に、そんな考えが首をもたげる。

 ……根本的に、笑子の力とは彼女が自在に操る大量の銃器だ。弾丸より素早く動く相手に対抗できるはずも無かった。

 勝算は絶望的。『アレら』に勝つというヴィジョンが想起できない。

 しかし。

(でも)

 パシッ! と、目の前に飛来した懐中時計を右手で掴む。満子の、姉の形見の懐中時計だ。

 右手の五指に力を籠める。

「それが! ここで諦める理由にはならないのよ……ッ!」

 そもそもの話。

 笑子にとって、プラチナの扇風機も最強変人の称号もさして価値を感じるものではなかった。

 ただ、超えたかった。

 “凍時術”を扱える彼女を。

自分が得られなかったものを手にしていた姉を。

一つでもいいから、超えていたかったのだ。

そして、今。

姉を殺した人間と、姉が殺せなかった人間が、目の前にいる。

拘泥や躊躇は無かった。

「う、おォォォォォオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」

 悲鳴とも雄叫びともつかない声を張り上げながら、手にした懐中時計を放る。

 “凍時術”。

 時を制御する半井の力。

 今まで成功しなかったソレを、半ば賭けで行使する。

 

 そして。

 そして――!

 

 

 

 

 

 世界から、音が消えた。