第六話 鴇永蒼月

 明朝。白烏警察署の捜査本部。

 責任者席に座っていた宇津木が腰を上げる。

「さて、本日の会議を始める……前に」

 言って、捜査本部室の右前方のドアを二回叩く。

「入ってきてください」

 宇津木が促すと、ドアが開いて二人の男が入って来た。

 一方は黒のスーツに紺のネクタイでかっちり決め込み、襟に金のバッジをつけた青年。その後ろに続くもう一方は、白衣で身を包んだやや猫背気味の男。

 先に口を開いたのはスーツの青年だった。

「初めまして。今日から捜査本部に加入させていただきます、検察庁の(とき)(なが)蒼月(あつき)です。よろしくお願いします」

 よく見れば、バッジの形は秋霜烈日。検察官の証だ。

 本部の組員に会釈する蒼月に続いて、二人目も口を開く。

羽黒(はぐろ)紅雪(こうせつ)です。仁科の代わりに今回の事件に着任しました。どうぞよろしく」

 ボソボソと述べた後、俯くような会釈。

「……さて、新しいメンバーの紹介も終わったところで、皆に知らせておくことがある」

 頃合いを見計らって、宇津木はそう切りだした。

「この事件の責任者は、今まで俺が務めていた。が、今日からは――この、鴇永検事に任せようと思う」

 宇津木の唐突な発言は、捜査員の間にどよめきを起こした。

 検察庁の鴇永蒼月といえば、法に携わる者の間ではちょっとした有名人だ。

 幼い頃に家族を失う憂き目にあいながらも、その優れた頭脳を遺憾なく発揮し、大学在学中に司法試験を突破するという超異例の経歴。

 検事に着任後も、担当した裁判では必ず冒頭弁論で予告した通りの評決を叩き出し、法廷内での尋問の際も一切の隙を見せず、着実に実績を積み上げる凄腕検察官。

 優秀な人物であることは疑いようも無い。しかし――若すぎる。

 実際、捜査員たちにも好意的に迎えようとする者もいれば、困惑の表情を浮かべる者もいた。

 喧騒を止ませたのは、バンッ! という音だった。宇津木が机を強く叩いたのだ。

「鴇永検事の実績は、警官ならば皆少なからず耳にしているだろう。この事件は暴力団が絡んでいる。優秀な指揮官を就けた方がいいという判断だ」

 ……実のところ、宇津木の意図はそれだけでは無かった。

 この事件に関わってから感じている数々の違和感。その正体を突き止めるため、責任者の座を譲ることで、個人で動ける時間を作ろうと考えたのだ。

 そんな宇津木の内心を知らぬ捜査員たちの中に、異論を挟む者はいなかった。

「若輩者ですが、お願いします」

 一応と言った感じで、蒼月が付け加える。

 そして、新たな指導者の下で、作戦会議が始まった。

 

 

「眠ぃ……」

 欠伸を噛み殺しながら、重光はハーレーに跨った。

 いっそのこと床で寝れば良かったと後悔する。固いソファーでは安眠できないばかりか、体も満足に伸ばせない。おかげで、首や肩などあちこち痛む。

「寝不足ですか? こんな時こそ、しっかり体を休めないとダメですよ」

 重光の後ろちょこんと座りながら、有希が屈託のない笑顔を見せる。

 声は元気ハツラツ、漲ってきた感がいっぱいである。

「……」

 言い返す気にもなれず、重光は黙ってエンジンをかけた。

 

 まだ陽も昇りきっていない早朝、ハーレーは白烏街を目指し、長く平坦な道のりを進んでいた。

 警察の目を考えれば、街に戻るのは下策に思える。しかし、如何せん逃げる宛てが無い。さらに言えば、ただ闇雲に逃げ続けていては根本的な解決にはならない。

 ならば思い切って自ら渦中に飛び込み、自ら事件を調べ、自らの手で収拾をつける――それが重光の策だった。

「なーに、途中でハーレー乗り捨てて慎重に動けば、そうそう捕まらねぇよ。勝手知ったる街の方が何かと都合が良いしな」

 人気のないスタンドでハーレーに給油を行いながら言う重光。

「上手くいきますかね……」

 不安がる有希を鼓舞するように、彼は続ける。

「この程度の修羅場、余裕だよ」

 が、その言葉はどこか自分に言い聞かせるような響きがあった。

 そして、メーターが満タンを示す直前のことだった。

 不意に重光の顔が強張る。

「どうしたんです?」

「――早く乗れッ!」

 不思議そうに顔を覗き込んでくる有希に、重光は焦ったように言う。

「え?」

「車の音だよ」

 言われて、耳を澄ます有希。確かにやや遠いようだがエンジン音が聞こえる。それも、こんな寂れた道じゃ明らかに不自然な数が。

「間違いねぇ。サイレンこそ聞こえないが、警察だ」

 慌ててハーレーに飛び乗る。

「くそ、何処から情報が洩れやがった!?

 毒づき、ノズルを蹴り飛ばすと、すかさず有希が蓋を閉めた。

「しっかりと掴まっておけよ」

 言うなり、スロットルを全開にする。

 爆音と共にエンジンがかかり、無骨なマフラーから肺炎が噴出する。

 即座に最高速度に至ったハーレーが車道に踊り出すのとほとんど同時だった。

 後方から、甲高いサイレンの音と無数の赤い光が洪水のように押し寄せてきた。

 さらに前方の曲がり角から一〇台近いパトカーが現れる。

 まさに袋の鼠。

 腰に回された有希の腕に、力が籠もるのを感じる。

(どうする……?)

 嫌な汗を首筋に浮かばせながら、必死に突破口を探す。

(どうやってこれを切り抜ける……!?

 四方八方に視線を巡らせるが、細い路地などは一切見つけられない。

 そうこうしている間にも、前後のパトカー群との距離は詰まっていく。

 不意に、腰が自由になった。

 次いで、手からハンドルがもぎ取られる感覚。

「な――」

 言葉を続けることすらできなかった。

 直後、交通量の少ない道路に、金属がぶつかり、ひしゃげる音が響いた。

 

 

「な……っ!?

 白烏警察署でパトカー隊の指揮に参加していた宇津木は、眼前で起こった光景を見て、咥えていた煙草を床に落とした。

 彼だけではない。羽黒や他の警官、そして蒼月でさえも、驚愕に目を見開いている。

 モニターには作戦が行われていた道路の惨状が映し出されている。

 道路に散らばった機械の部品に、急ブレーキの摩擦によって路面に焼付いたタイヤの跡。

 そして、衝突によりあちこちがひしゃげ、破壊された――無数のパトカー。

 重光たちの姿は無い。

 前方のパトカーと接触する直前に、彼らを乗せたバイクは突如方向を一八〇度転換し、後方から迫っていたパトカー群の隙間を縫うように逃げ去っていったのだ。

 泡を食ったパトカーが反射的に追う方向へハンドルを切ったのが間違いだった。

 当然、隣の車体と玉突きのように追突していき――その結果がこれだ。

 火が起きていないのは幸いだったが、この状態ではとても追跡は継続できない。

 バンッ! と、大きな音が響いた。

 そちらを見ると、蒼月が長机に両手を押し付け、肩を震わせている。

 ……今回の作戦の立案は彼だ。監視カメラのネットワークを駆使し、綿密に練り上げ、シュミレーションでも極めて高い成功率を示していた。

 それをあっさりと破られ、あまつさえ甚大な被害を出してしまったのだ。若き検察官の心中は察するに余りある。

 宇津木はほうと一つ溜息を吐くと、実働隊の救助と白バイによる追跡を要請すべく、無線機を手に取った。

 

 

 追手が来ないことを確認すると、ハーレーは徐々に速度を緩め、やがて、静かに停車した。

「最寄りの商店街までは歩いて行こう」

 ハーレーから降りながら、重光が言う。有希は黙ってうなずいた。

「まったく、驚いたよ。どこで覚えたんだ? さっきの運転」

 問いかけると、ようやく有希が口を開く。

「昔やったことのあるゲームで似た様な裏技があったのを思い出して……」

「ゲーム?」

「はい」

 俄かには信じ難かったが、嘘をついている様子は無い。

 そんな下らない会話をしながら、二人は白烏街に歩を進めた。